1952-06-10 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第26号
ところが大野豊橋市署長が学校と話合いの上、本日、すなわち八日の午後一時に、警察の次席が学校へ行つて、拳銃と警察手帳を受取つて来た事件が発生しました。それで今その事件の真相を捜査するために捜査会議を開き、着々資料を集めております。こういうことでありました。
ところが大野豊橋市署長が学校と話合いの上、本日、すなわち八日の午後一時に、警察の次席が学校へ行つて、拳銃と警察手帳を受取つて来た事件が発生しました。それで今その事件の真相を捜査するために捜査会議を開き、着々資料を集めております。こういうことでありました。
○加藤(充)委員 今御記憶があれば思い出していただきたいのですが、中西市署長は語る、という見出しのもとに、前文は省略いたしますが、大火当時のデマにはまつたく根拠もない、火事場はいずれの地でも盗難が起りがちである、現在のところ集団火事どろの線はあがつておらない。
その一つの例として、「立川国警支所長は七月二十八日に「事件当夜八時半頃、国警本部から三鷹附近で何か事件が起るから注意して警戒に当るよう通知をうけた」ともらし、立川市署長は二十七日に同様のことをもらしておる。と言つております。」はたしてこの事実があるかどうか、このことをまずお聞きしたいと思います。
(ホ)、警察署襲撃 前略……署長室においては代表株の者より市署長に対し(午後四時二十分)頃(一)、午後四時までに掲示板を撤去せよという命令を取消せと執抛且つ暴言を用いつつ抗議され事態はすます悪化し懇乱に陷る状況にあり、当時尚應援をしていないので警備の点から讓歩して交渉を円満に解決せんとし、七日間の延期要求に対し撤去を三日間延期した。続いて市署長に対し、(二)、事件の責任は署長にある。
げるにはちよつと困難でありますが、結局福島縣を試験台にあの連中が蜂起しているのだというような風評は、われわれ警察職員として当時いろいろな方面から聞いておつた、何か全國的な暴力革命というようなことを常に彼らが言うていることを聞いているので、そろそろこれは実行の段階に入つたのかな、これは重大な問題になつた、そういうように考えておつたので、二十八日の湯本の事件で平にも押しかけておつたので、二十九日の午後内郷署長と平市署長
○菅家證人 そういうわけと思いますが、ちようどそのころ平市の掲示板撤去問題をめぐつて、三十日の午後四時でしたか、平市署長が共産党の人たちに、この時間までにぜひ撤去するように、撤去しなければ警察で撤去すると言つたという連絡がありましたので、結局それをめぐつて相当波瀾があるということは、私ども知つておりました。これは結局その勢力に加わつて平では一騒ぎなければ納まらぬなと考えていたわけであります。
○菅家證人 平市署長の要請でやりました。
すなわち労務者側には、記事掲載という点において利害関係がないとは言えないが、本件の道路使用の許可は、平市署長から申請者長江久雄個人に与えられたものである。しからばその取消しに対する救済手段には、おのずから限界があるはずである。許可取消しの撤去応援と称して、警察の警備力の十倍に匹敵する多数が許可なくして警察署に闖入し——当日降雨が相当激しかつたことも事実であるが、單純な雨宿りでないことも事実である。
また逮捕状の発令された二名は大会の中に取巻かれておつたとおつしやつておるのでございますが、当時、鈴木日立市署長は、この二名の逮捕はわずか一分か二分かで完了したものであるということを認めており、鈴木署長は、われわれが知つておる範囲においては、大会は混乱しなかつたと言つておるのであります。